志高塾は、作文をカリキュラムの中心に据えた個別指導塾です。
志高塾は、作文をカリキュラムの中心に据えた個別指導塾です。
「言葉」と「数字」は思考をする上での両輪です。しかし、学校教育においても、塾などの教育においても「数字」、つまり、算数や数学に重きが置かれすぎています。それは、私が学ぶ側の立場であった二、三十年前も今もほぼ変わりません。その理由の一つに、そもそも「言葉」に関することを”ちゃんと”教えられる人が少ないということが挙げられます。ここでは、”ちゃんと”という言葉を「間違いなく」ということはではなく、「興味を持てるように」という意味で用いています。
「作文が嫌いなので、少しでも好きになってくれれば」という親御様の思いで通い始めた生徒が、三ヶ月後、半年後には書くことが苦ではなくなる。もちろん、作文の内容が大事なのですが、それはとても大きな一歩です。志高塾で学んでいく中で「作文が上手」、「国語が得意」となってくれるに越したことはないのですが、「作文を書くのが好き」、「算数の方が成績は良いけど、国語の勉強をするのは楽しい」となるように導いてあげることが我々の役割なのです。
2007年4月、志高塾を立ち上げるに際し、私が使命として掲げたものがこれです。一人でも生徒を増やすことを第一義とする「より多くの人によりよい教育を」とは似て非なるものです。よりよい教育を常に意識し、実践をし、よい教育だからこそより多くの人(子供、親)に接してもらうことで、一人でも多くの子供達の未来を明るくできる、また、そう願う親の期待に応えたい、という想いを込めています。
あれから10年が経とうとしている現在(2017年2月時点)、力が及ばなかったことは否めないものの、愚直に「よりよい教育」を求め続けてきたという自負はあります。一方で、「より多くの人に」につながる行動を起こすことはできていません。だから、次の10年ではそれを実現します。
子供の頃、偉そうな先生(大人)が大嫌いでした。言動だけでそのような判断をしていたわけではありません。どれだけ厳しいことを言われようとも、尊敬できる先生であれば素直に聞くことができました。
私はできた人間ではないので、残念ながら「こういう人になりたい」といったような手本になることはできません。でも、見る側から見られる側へと立場が逆転した現在「あの人のこの部分だけは見習っていいかも」と少なからず子供達に思ってもらえるような大人でありたいのです。そのためには、分かったような気にならずに成長し続けることが欠かせません。だからこそ、これまで同様、これまで以上に「よりよい教育」を追い求め、今後は「より多くの人に」を形にしていく必要があるのです。
29歳の頃、強い想いだけで始めた志高塾。それに賛同してくださった、親としても人間としても先輩である親御様から信頼してお子様を預けていただき、時に厳しいお言葉をいただきながら私は多くのことを学ばせていただきました。そして、この10年の間に、私は3人の息子の父になりました。それらを活かし、志高塾の教育の質をさらに発展させていきます。是非、新たな10年の船出を迎える志高塾にご期待下さい。
1977年生まれ。大阪府立北野高校を経て、京都大学工学部建築学科卒業。
国語嫌いで読書もあまりしなかった、という自身の経験を踏まえ、
本に親しみ、様々なことに興味を持ち、言葉を使って論理を組み立てられる人に育てるため、
作文中心の教育を行う志高塾を2007年4月に立ち上げる。
準備クラス | 本格クラス | |
対象 | 小学2年生 | 小学3~6年生、中学生、高校生 |
---|---|---|
授業時間 | 60分 | 90分 |
授業回数 | 毎週1回(月4回) | |
入塾料 | 20,000円 | |
授業料(月謝制) | 20,000円 | 26,000円 |
授業実施曜日・時間 | <平日> 15:00~16:30 16:40~18:10 18:20~19:50 20:00~21:30 | |
<土曜日> 9:10~10:40 10:50~12:20 13:00~14:30 14:40~16:10 16:20~17:50 |
※料金は、すべて消費税込となっており、それ以外の費用は一切かかりません。
※入塾料は、兄弟生の場合2人目は半額の10,000円、3人目以降は無料となっております。
※準備クラスの生徒は、上記90分の枠内で60分の授業を行います。
※休まれた場合は、振替授業を行います。
〒663−8204
兵庫県西宮市高松町11−2 ピアン西宮105号
〒560-0023
豊中市岡上の町4-4-2タナカ産業第2ビル304
〒569-0071
高槻市城北町2-5-5 岡畑ビル2F東側
志高塾は受験専門塾ではありません。これまでもそれを訴えてきましたし、今後もそのスタンスは不変です。その結果「志高塾は、受験に力を入れない」と誤解されてきました。世の中の塾は「将来のための塾」もしくは「受験のための塾」といったように二極化しています。受験にすら役立たない将来に役立つ力とは一体どのようなものなのでしょうか。また、受験のための力は本当に受験には役立つのでしょうか。
志高塾に通う子供達はとにかく徹底して作文を行います。それによって、言葉を使って考える力が磨かれていきます。その結果、発想が豊かになり、自らのアイデアを他者に論理的に伝えられるようになります。それは将来に役立ちます。実際、そのように子供を導くことは容易なことではありません。ただ、我々が目指すところは間違いなくそこなのです。
ここで受験の話に移ります。学校のレベルが上がってくると、それに伴い、記述問題が増え、かつ難解なものになります。学校側が、優秀な子供とそうでない子供を選別するためです。そのようなテストにおいて、書く力がない子供がどのように得点するのでしょうか。問題を大量に解かせて、十点の記述問題でどうにか五点取れるか取れないかのような方法を身に付けさせようとする。だから、国語が嫌いになるのです。作文を通して基礎力を養い、十点満点を取るために頭を使わせる。すると、国語が苦手であった子供でも「意外と楽しい」となるのです。
つまり、「受験専門塾ではありません」というのは、「志高塾は、作文を通して培った力を、読解問題を解かせることでより強くしなやかなものにし、将来にも受験にも役立つ力を身に付けさせます」という意思表示なのです。