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2024.08.13Vol.650 『蒼穹の昴』を読んで

 今回は高2の生徒の読書感想文を紹介する。浅田次郎の『蒼穹の昴』は私自身随分と前に読んだ。一時期彼の作品にはまっていたのはこの本がきっかけだったような気もする。それなりに大学受験を意識する高校2年生に、これだけの長編のものを課題図書とする中高一貫校は素晴らしい。
 生徒が作文を書き上げ、私がそれに対して指摘をし、生徒がそれを自分なりに消化して修正をする。そういうことを繰り返しながら、少しずつ、でも確実に良いものに仕上がって行く過程と言うのは中々心地良いものである。では、お楽しみください。

「変革の果てに」

 中国と言えば、何千年もの間世界の中心だった。周囲の国と朝貢貿易を行い、冊封体制に組み込むのは昔からの伝統であったし、日本の権力者たちも幾度となくそのような関係を結んだ。そんな権威ある伝統は、十九世紀に入ってから、フランス革命や産業革命を経て近代化を一早く成功させた欧米の進出が始まったことで揺らぎだした。アヘン戦争、アロー戦争等を経て、遂には十九世紀末にかつての朝貢国である日本との戦争に負けたことを皮切りに列強の領土分割の標的となるほど落ちぶれた。この本では、そのように没していく清を改革によって生き永らえさせようとする官僚達、この手で終わらせようとする西太后、またその混乱に紛れ私腹を肥やそうとする者達の葛藤や攻防が生々しく描かれる。そのような中、一人異彩を放つ人物がいる。主人公の李春雲だ。彼は宦官にしては珍しく、多くの者の支持を得て大きな恨みを買うことなく出世したが、それは彼が、西太后に首を切られた宦官達から三年間教わった、紫禁城を生き抜くためのノウハウだけの力ではない。皆が惹かれたのは彼の利口さ、明るさ、そして優しさだった。彼は西太后の第一の理解者となるまで出世したが、決して高ぶらず、寧ろ周りの人々に優しく接し続けた。西太后のために様々な情報を手に入れる一方、幼馴染で変革派の一員でもある梁文秀の身を案じ、敵陣営でありながら忠告することもあった。それは、彼が絶望的な貧困出身で、失うものが何もなかったからかもしれない。自分が得たいものがないから人に尽くす他はなかったからなのかもしれない。いずれにしろ、彼の人情深さは思惑で溢れかえっていた当時では特異である。自ら危険を冒してまで人のために尽くす人々の姿はこの本で何度も描かれるが、彼に比肩する者はいない。
 人を思うという意味では、変革派はそのような人々で構成されていた。彼らは沈み行く清を民のためにより良いものにしようと奮闘していた。先に挙げた幼馴染の文秀もその一人である。彼は科挙を首席で登第し、エリート官僚として出世した。紆余曲折あって、西太后が自ら政界を去ることで、変革派の時代が到来した。彼らは康有為を中心に政治改革に尽力したが志半ばで、西太后を頂点に置いた旧勢力に実権を明け渡すこととなった。これは西太后の仕業ではない。彼女は政界の覇権争いに利用されたに過ぎない。いつの時代もそうであるように、猪突猛進で周囲が見えなくなってしまった変革派は次第に多くの反発を買うようになり、利己的でずる賢く既得権益にあやかっていた人々に上手く出し抜かれたのだった。
 この本は中華の大帝国の滅亡へのカウントダウンが描かれている訳だが、従来の政治体制の崩壊で思いつくものとしてフランス革命、明治維新、ソビエト連邦の誕生がある。面白いことに、これらの改革を押し進めた人々は共通して超富裕層でも極貧困層でもなく、身分や資産もそこそこで学もあるがそれ故に虐げられていると感じることも多い、いわゆる「意識の高い」人々が多いように感じられる。彼らは総じて自分達や弱い民衆達の苦しみは既存の古すぎる体制とその権威達の贅沢、怠惰に原因があると考えている。だから伝統を一掃し、自分達の思う民衆のための政策を次々と打ち立てるのである。確かに内容は間違ったものではないことも多い。だからと言って必ずしも上手くいく訳ではないことは歴史が証明している。この本の変革派は亡命するか処刑となる。革命で国王を処刑したフランスはその後何度か帝政に戻り、ソビエト連邦は崩壊した。
 彼らはあくまで自国のためを思い行動したに過ぎないが、結果的には国境を越え様々な良い影響を及ぼしているところは興味深い。フランス革命があったからこそ、他の国の民衆も立ち上がることができた。身分によって棲み分けが行われていた社会体制も、背景に関係なく自由に生きることができる人も増えた。ソビエト連邦は新しい政治体制である社会主義を築き上げ、崩壊することによって社会主義の限界を示した。またそれにより、「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他の全ての政治形態を除いては。」というチャーチルの言葉もより確固たるものとなった。彼らの政治は上手くいかなかったかもしれないが、彼らは間違いなく時代を一歩進展させたと言っていいだろう。では何が悪かったのだろうか。民衆一人一人に上手く寄り添うことができなかった。彼らは中央で全てを一括で管理しようとしたのだ。それは従来の絶対的な権力者による中央集権体制と何ら変わりはなかった。また、貧しい田舎の農民達は国王や皇帝を神格化しており、彼らにとって改革者達は反逆者でしかないのだ。ここで、亡命中の文秀の言葉を引用しよう。
「僕らのなすべきことは、決して施しであってはならなかった。日照りの夏はともに涙を涸らし、凍えた大地の上をともに転げ回ることこそ、彼らの中から選ばれた政治家の使命なのだということに、僕はついぞ気づかなかった。」
 彼は仲の良かった春雲がどれだけ苦しい生活をしていたかさえ知らなかった。そんな彼が四億の民一人一人を思って政治を行うのは不可能であっただろう。自分達が何を必要としているのか、民衆達が一番困っているものは何か、どうしたら幸せになれるのか。それを見極め、偏重のないように手を打てる人が本物の「政治家」であり、「改革者」であるのだ。

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