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2024.06.18Vol.642 欧州旅行記 ~舞台~

 ある高校生が、舞台を暗くし客席を照らしてはどうか、というような提案を意見作文の中でしていた。テレビで見た、「みなさんのお顔が見たいので、客席を照らしていただけますか」と女優の吉高由里子が舞台からお願いしたシーンに着想を得ていた。いつもと反対の状況に置くことで、客は、見られているかもしれないという緊張感を持ち、また、客席の側から漏れた光だけが頼りなので目を凝らして集中しながら観劇する効果が期待できる、と考えてのことである。5年前にウィーンを訪れた際、元旦に日本でもテレビ放映されるウィーンフィルのニューイヤーコンサートが行われるウィーン学友協会に演奏を聴きに行った。舞台正面の一番良い席に陣取っていた日本人のツアー客のうちの何人かが薄明りの中でずっと爆睡しているのが、私のいた2階席から見えた。あんな良い席なのにもったいないなぁ、と思いながら眺めていたのだが、照らされていると明るくて寝づらい、という効果もあるかもしれない。日本人のツアー客、と述べたが、会話を聞いたわけでも近くで見たわけでも無いので、実際のところはどうであったのかは分からないが、間違いなくそのように思った。あの時点では、まだ「アジア人のツアー客=日本人」というのが自分の中にはあったのだ。
 これまでに何度かここでも書いたはずだが、20代の頃、私の中には高齢者向けのビジネスプランがあった。「少子高齢化」が盛んに言われ出したのは2000年前後であると記憶している。調べてみると、「少子化」という言葉が政府の公的文書に初めて登場するのは、1992年に出された国民生活白書「少子社会の到来、その影響と対応」においてであることが分かった。「地球温暖化」に関して、随分と前から警鐘が鳴らされていたものの、多くの人が実感し始めたのは「100年に1度の大雨」が毎年のように起こるようになったこの5年ぐらいではないだろうか。線状降水帯という言葉が市民権を得たのも最近のことである。未来を危惧する言葉が世の中に現出してから、その言葉が重みを持つまでにそれなりの年数を要するのだ。「少子高齢化」について、私が関心を持ったのは「高齢化」の方である。定年を迎えたある程度お金に余裕のある男性をメインターゲットとしてイメージしていた。それは自分が男とであることと密接に関係している。退職をするまではバリバリ働いていたのに、それを境に、立場がプレーヤーからオーディエンスに変わり、孫の運動会や学習発表会を見に行くことだけが楽しみになるのは寂しいと感じたからだ。私はそのビジネスプランを「ステージ」と名付けた。「舞台」と人生の一つの「段階」であることの2つの意味を持たせた。客席側ばかりではなく、回数は減ったとしても舞台に上がってスポットライトを浴びる機会を持ち続けましょう、という意味を込めた。現役を引退した10人ぐらいでメンバーを組み、たとえば、ツアーガイドをしていた人であればみんなを旅行に連れて行って引率し、料理人であれば料理を振る舞う。歴史に詳しいのであれば歴史について教える。結局それ以上アイデアを掘り下げるのを止めてしまったのだが、「特別披露するものがない人はどうしたら良いのだろうか?」という自問に対して、自答できずじまいであった。
 さて、話は変わらない。あなたがこれまで訪れた美術館の中でお気に入りの3つを教えてください、と言われたら、フランスのニースにあるシャガール美術館とオランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館の2つまでは迷わず挙げられるものの、残り1つは難しい。要は、私の中でその2つが飛び抜けているのだ。前者は習作のステンドグラスが地中海の真夏の光で鮮やかな色を発し白い壁が赤や青に染まっていたこと、後者は吹き抜けのエントランスロビーに置かれたグランドピアノの生演奏を聞きながら鑑賞したことをはっきりと記憶している。シャガール美術館を訪れたのが冬の曇りの日であったら、また、ゴッホ美術館で演奏が行われていなかったら、私の印象はまったく違ったものになっていたかもしれない。大学生の頃、フィレンツェに3日間ぐらい滞在したが、ずっと天気が悪く、私自身風邪気味であったので良いイメージが無い。今回、習作ではなく、教会でシャガールのステンドグラスを初めて見ることができた。スイスのルツェルンという町に、ピカソとシャガールの作品がたくさん展示されているローゼンガルコレクションという美術館があるのだが、シャガールがステンドグラスに取り組み始めたのが実は70歳を超えてからだったということをそこで知った。制作意欲が衰えないことに感嘆したものの、それ以上に、その歳になっても活躍する舞台があることに羨ましさを覚えた。
 最後に余談を一つ。ローゼンガルトコレクションに展示されているピカソの作品の一つに女性の肖像画があった。ピカソと聞いて想像するキュビズムのそれではなく、一般的な描き方がされていた。それを見たときに「これ誰かに似てるなぁ。あっ、そうか」となった。冒頭で述べた高校生の女の子のお母様とそっくりだったのだ。そのポストカードを買ったこともあり、彼女に「これ、お母さんにめっちゃ似てへん?」と問いかけると、「くれるんですか?」と返ってきた。単に見せたかっただけなのに、不覚にも「お、おう」と答えてしまった。
 途中、「さて、話は変わらない」などとややこしい表現を使った。名前が出てきたのは後半になってからではあったが、今回は珍しく、予告通り最初から道をそれることなくずっとシャガールにつながる話をしていた。
 このシリーズ、まだ後1, 2回は行けそうである。

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