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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2024.08.30Vol.32 刹那を生きる君たちと(徳野)

 「大人はなぜ本を読ませようとするのか」。先日、中学1年生の男子生徒が、学校課題の弁論文において自ら掲げた論題である。最初に目にしたときは、志高塾の講師として、挑戦状を突きつけられたような気分を味わった。それで彼が毒にも薬にもならない内容に仕上げてきたら承知しないつもりでいた。(単なる笑えない冗談です)そして、肝心の中身であるが、「母は、読書をした時間だけゲームをしてもいい、という嫌なルールを決めてくる。にも関わらず、ゲームは1日30分だけという理不尽な制限を課してくるので、意欲を無くしている僕は最低限の量しか読み進められない。」という、親子間の攻防が生き生きと綴られていた点は面白かった。ちなみに、学校側も「弁論文」とは言うものの、まずは書く過程を楽しむことを求めている様子だった。一方で、冒頭の問いへの答えじたいは「子どもの読解力と語彙力が向上するから」という常套句に留まっていた。そして何より、彼自身がその理由に納得していなかったし、読書習慣が完全に定着していない状態で大人からの受け売りのような「意義」を羅列しても面白くない。それを踏まえて論題を「どうすれば子どもは本を読むようになるのか」に再設定する運びとなった。
 「読解力」と「語彙力」という言葉は、学校や進学塾のテストひいては受験を第一に見据えているからこそのものであるとは容易に想像が付く。もしくは、読書を純粋に好んでいる保護者が、自分とは違う我が子を何とか説得しようと持ち出す実際的効用の代表だ。しかしながら、私個人の経験を挙げると、小学生の頃から文章に触れることが趣味ではあったが、それだけで国語の成績は伸びなかった。点数に反映され始めたのは、中学生以降それなりの問題量をこなすようになってからだった。
 では、なぜ子どもは本を読まなくてはならないのか。この夏期講習中、読書感想文に取り組んだ生徒たちとやり取りしながら幾度となく頭をよぎった。私の場合は「読みたいから読む」という感覚だったのに加え、お絵描きやテレビ番組に没頭する時と比べると親の目が格段に優しくなったことも大きく影響していた。そんな人間の事情など本嫌いな相手に響かない。「人それぞれでしょ」で一蹴されて終わりだ。では、もう少し一般化して「入ってきた情報をいちど咀嚼する力は一生ものだから」はどうだろうか。10代向けの漫画・アニメは絵やセリフのインパクト、つまり「点」の情報だけでも楽しめるよう構成されている。小説よりも奥深い作品だって存在する、という反論が飛んでくるだろうが、そういった真価に気づけるのも、言葉を通して思考を掘り下げられる大人だからこそだ。活字に限らず世の中に溢れかえっている情報の意味を理解できるようになるためには、起承転結のある文章に対して「なぜそうなるのか?」と自問自答する経験の積み重ねが重要な役割を果たす。これなら多少は説得力があるだろう。
 中1の男子生徒の弁論文に話を戻す。論題から仕切り直す決め手となったのは、文章で取り上げられていた、彼とおじい様とのやり取りだった。「お前の日本語はおかしい所がある」という指摘と共に本を紹介されたのをきっかけに、「内容の難しさに目が回りそうに」なりながらも以前よりは読書に前向きになれた、とのことだった。なんて素晴らしいおじい様。そのエピソードを元に導き出した結論は、「大人の視点から、子どもが『今』抱えている課題を明らかにすることが大切」というものだ。意見作文に限らず、生徒が出してきた素材の価値を引き出すのは講師の大事な仕事だと改めて実感した。また、指導する私にとっても大変学びになった。
 「情報を咀嚼する力」が必要であること、そして、読書を含む教育が子どもの将来のためであることに違いはない。そこに揺らぎはない。だが、子ども自身、特に小学生たちにとっては「現在」が全てなのだ。そんな彼らに、本に向き合う時間の重要性を伝えていくためには、その時間が「今」の自分に関わっていると感じられるようなやり取りを重ねなくてはならない。意義を直接的に理解する必要はない。本人が成長したときに「やっぱり読書はしないとな」と思える下地を無意識に形成できれば御の字だ。
 今夏、読書感想文に取り組んだ生徒の中に、宗田理氏の『ぼくらの七日間戦争』を題材にした男の子がいた。率直に言えば紆余曲折を経て完成まで持って行ったのだが、その過程で本人が「この本、面白くなくなった」と漏らす場面があった。そこで、「じゃあ何を面白いと感じるの?」と疑問をぶつけてみたところ、彼はしばし考え込んだ後、はっとした表情で「面白いものが何も無い!」と返してきた。身も蓋もない答えのように思われるかもしれないが、本人が親御様の目を盗んででもプレイしようとしているオンラインゲームの名前を挙げなかった点は「収穫」だったと言える。その気づきがあったからこそ作文を、物語の主人公たちの「面倒くさいことから逃げるためではなく、自分たちの力で何かを成し遂げるという目的の下で保護者や教師に反抗した」という一連の行為に意味があったのだ、と締めくくることができた。

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