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2024.10.15Vol.658 基本的には質×量

 人間でも、ChatGPTのように、量を蓄積することで質の向上が見込めることはある。しかし、たとえば進学塾での成績が低迷している小学生が、大量に出された宿題を、深く考えもせずに処理しているだけでできるようになることはない。
 先週、ある高一の生徒の学校の数学のノートを褒めながら周りにいた同級生たちに見せた。工夫が感じ取れたからだ。そして、「俺は高校時代、特に数学に関しては、先生の板書を丁寧にそのままノートに書く女の子のものをコピーさせてもらっていた。賢い奴のんは間違えても借りへんかった」と続けた。入学当初はさすがに自分で書いていたのだろうが、提出を義務付けられるわけではなく、書くことに重きを置くと先生の話がきちんと頭に入ってこなかったからだ。できる連中は自分が分からないポイントに絞ってしまうから参考にならない。一方、そのまま写している子のものは全体を網羅しているため、私が必要としている情報が含まれている可能性が高いのだ。試験前になると、どの女の子にどのように頼もうか、ということに腐心していた。
 経験を積むことによって中身のあるノートのまとめ方が身に付いてくる場合もあるが、小学生の時点で既にそれが備わっている子もいる。宿題を全然やらないこともあり進学塾を5年生の途中で辞め、半年ぐらい前から志高塾一本で中学受験に臨むことにした男の子がいる。その子は私が教えたことの中で、理解が完璧でない部分を自分なりに消化して書き込んでいるのだ。それを見て、「全然勉強せえへんけど、ノートの取り方はええねんなぁ」と本人には伝えた。「質」は担保されているので、後はそれに「量」が掛かるように持って行ってあげなければいけない。6年生にもそれができている男の子がいる。受験はしないのだが、少なくない量の宿題をきちんとやってくる。理解も早い。そういう子は得てしてきちんとやることを疎かにしがちなのだが、手を抜かずにきちんと式を書く。それを見るだけで、頭の中が整理されていることがよく伝わってくる。その彼の公立に通う中3のお姉ちゃんは、内容を把握するのにとにかく時間が掛かる。「待って、待って」と先に進もうとする私を制しながら、自分が納得行くまで考え抜く。「えっ、まだか?」と途中で私が皮肉を言うこともあるのだが、全然気にすることは無い。「すぐに理解できるかは能力の問題でもあるので気にする必要は無いが、工夫さえすればその差は埋められるから。理解するのに他の人より時間が掛かったんなら、その分、頭にきちんと留まるようにせなアカン」ということをその子には小学生の頃から伝えて来た。それが実践できていることもあり、学校の定期試験の数学では95点前後をキープしている。一方、夏休み明けから進学塾の算数を辞めて志高塾に切り替えた小4の女の子には、前回の授業の際に、「1週間前に教えられたことを簡単に忘れているようではダメやで。言われたことをただ書き写しているだけやとそうなってしまう」という指摘をした。前提とすべきなのは、「何回もやること」ではなく「注意せずにやると簡単に忘れてしまうこと」である。繰り返しやれば良いと思えば1回1回を大事にしなくなる。一方、「意識し無いと頭に残らない」となれば、抜けないような工夫をする。1回で頭に入らなかったものだけ2回目をやり、それでも駄目なものを「さすがに3回目で完璧にする(理解する、覚える)」という手順を踏むのだ。
 ここまで算数や数学の話をしてきたのだが、ここからは国語に切り替える。先々週に大学の看護学科の推薦入試を受け、無事に合格した女の子がいる。本番は小論文試験だけである。中学受験のときに志高塾に通い、中高一貫校入学後は、通学に時間を要し、かつ全国大会に出場するようなクラブに所属していたこともあり、その時点で辞めた。そして、クラブがひと段落した7月初旬に戻って来て、約4カ月、週2回の授業を行った。特に後半の2ヶ月間はかなり充実した授業になった。授業中に書き上げたものの内容が不十分だったときに、どこが良くないかを指摘して、その部分の修正を宿題に出すことが多かったのだが、中身のあるものに仕上げた上で授業に臨んでいたからだ。それも上で述べたノートの取り方と密接に関係している。私が思い付きであれやこれやとたくさん指摘したことを忘れないように自分なりにメモを取って、それを踏まえて加筆修正を行えていた。言われたことをただやってきました、ということではなく、私の意図をきちんと汲めていたのだ。お母様とは長い付き合いで、「できれば先生に直接見て欲しいが、それが無理な場合はせめて先生のいるコマでお願いします」と頼まれていた。そのような類の要望に対しては、謙遜ではなく、「私よりうまく教えられる講師はいますので、私が適任だと思いませんが、期待されているのであればそれに応えられるようにします」というような返答をすることが多い。初めのうちは、作文に目を通して、それに対して修正箇所を伝えた上で、その後は他の講師に任せるなどしていた。ただ、残り1, 2カ月は最初から最後まで私自身がすべて見たはずである。気づいたらそのようになっていたのだが、打てば響くようになったので、やり取りをするのが私自身楽しくなっていたのがその理由かもしれない。
 最後は、具体的な指導内容について。試験時間は60分、看護関連のテーマが一つ与えられ800字前後でまとめるということが例年求められる。それに対して、時間配分を含めて次のようなアドバイスをした。最初の10分で構想を練って、次の30分で600字を使い結論部分の前の段落まで書き上げ、そこまでを読み直して残り20分でそれまでの内容と矛盾が生じないようにきちんとまとめる。もし字数が余れば、別の視点からの意見を付け加えれば良い、ということを伝えた。たとえば、看護師としてどのように患者と接するべきかというテーマのときには、「押しつけにならないように、患者様が何を求めているかに耳を傾けることを大事にしたい」ということを話の軸にし、それを踏まえて結論を述べ、それで埋めきれなければ、「ただ、中には意見を求められるのが苦手な人もいるだろうし、本音を漏らさない人もいる。そのような場合には、言葉にならないその人たちの欲求を感じ取るようにしたい」といった感じである。この「別の視点からの意見」を盛り込むことは、単なる小論文のテクニックではない。「私はこのように考える。でも、私とは違ったことを考える人もいるから、そこに目を向けることを忘れないようにしなければならない」というのは日常生活において必要な心構えである。タイパ、コスパを重視する若者が多い中で、彼女は助産師になることを希望している。なぜ助産師になりたいのか、どういう助産師になりたいのか、に関して授業を通して一緒に様々な角度から考えた。大学に入り、現場のことなどを学べばやりたいことは変わるかもしれない。そうなったとすれば、助産師が思っていたより大変そうだったから、ではなく、もっとやりがいのある仕事を見つけたから、がその理由のはずである。

2024.10.08Vol.657 第2回「beforeとafterの間」を終えて

 『志同く(こころざしおなじく)』の「Vol.35 学びの肥やし」において、社員の徳野が、現在何人かの高校生が海外旅行記に取り組んでいることを説明した上で、「うち1名が書き上げたものは10月8日(火)の『志高く』に掲載される予定」と述べた。完成はしているのだが、15日か22日に回すことにした。今回は書きたいテーマがあるからだ。
 先週の土曜日、第2回「beforeとafterの間」を無事に終えることができた。これまで10回前後行ってきた、主に中学受験を経験した親御様に話をしていただく場『十人十色』に、志高塾らしい行事が新たに加わった手応えが得られた。
 そのことに触れる前に、その日あった私にとって面白い出来事を紹介する。実は、開催を10月5日に決めたことを少々後悔していた。私が応援するガンバ大阪と幼馴染がコーチを務めるチームの試合が行われることを忘れていたからだ。チケットを用意してもらい、試合後に一緒に飲みに行く、ということが恒例になっているのだが、今回は残念ながら現地観戦は叶わなかった。彼が試合後のミーティングなどを終えるのが22時過ぎになるとのことだったので22時半待ち合わせになった。彼の宿泊先が私の家からは少々不便なところにあり、終電が23時半だったので電車で帰ることは諦め、タクシーで帰るか近くに泊まるかの2択になり後者を選んだ。料金的に大差は無く、タクシーが捕まらなかったら困るからだ。元々2人の予定だったのだが、彼が大学院でサッカーを一緒に学んだ友人を連れてくることになった。その方が、私立中学でサッカー部の顧問をしていて、志高塾の生徒がチームのキャプテンをしていたのだ。お母様は『十人十色』で話をしてくださった。その生徒は中学に入ってからもサッカーを本格的にしたい、ということで学業とサッカーの2軸で学校選びをし、サッカーを続けながら受験に臨んだ。ちなみに、「彼は勉強がよくできます」には、「そりゃあ、うちの生徒ですから」といつものように軽口を叩いておいた。そのことだけでも十分すぎるぐらいの偶然なのだが、その方は1カ月ほど前に行われた私の中2の二男が出場した公式戦の主審を務めていたのだ。丸坊主で風貌が目立ちやすいというのもあるが、どこが良かったかと具体的なプレー内容に言及した上で、「いいプレーをしていましたよ」と褒めてくださった。私も試合を見に行っていたこともあり、その指摘が適当でないことも分かったため、親としてはすごく嬉しかった。学校同士が近く、頻繁に練習試合をしているのならまだしも、たった1試合だけで印象に残らないものである。
 さて、本題。第2回のスピーカーを引き受けてくれたTさん。立派にその役割をこなしてくれた。お母様も参加されていて、我が子の話し方がスムーズで無かったことが特に納得行かなかったようで、翌日に超長文のラインが送られてきた。火曜日は週に1回学校に教えて行く日であり、ちょうど1週間前の授業で、読解問題の本文が藤原正彦の『国家の品格』であったこともあり生徒たちに次のような話をした。「数学者なのだが、『国家の品格』がベストセラーになった。大学生になるまでほとんど読書をしなかった俺が、高校生の頃、家の本棚に並んでいた彼の『若き数学者のアメリカ』という本をなぜだか手に取り、それだけは面白くて何度か読んだ。『国家の品格』を出した後、講演会に一度行ってみたが話しはうまくなかったので書くことと話すことは違うということなんやと感じた。」そのことを否定的に捉えたのではなく、話すことに中身があれば少々話すのが下手でも人を惹き付けられるということを実感した。孫正義や山中伸弥の英語を聞いたときも似たような感想を抱いた。サッカー選手の本田圭佑に至っては、もう滅茶苦茶な英語なのだが、逆に言うと、自身でそのことが分かっていても、そんなことより相手との意思疎通を図ることに重きを置いているから気にしていないのだ。流暢な英語にはもちろん価値がある。ただ、そのような有名人たちが英語を話しているのを聞いて、「下手くそやな」で終わるのではなく、自らが誇る発音のきれいさを生かすだけの話題を自分は提供できているだろうか、という確認をすべきだということを言いたいのだ。志高塾では、小論文試験対策をする場合でも書き方から教えることは無い。与えられたテーマに対して、自らの経験を入れることを大前提にして、それと社会での出来事などを絡めながら自分なりの意見を述べることに重きを置いている。その質が上がってくると、自ずと最低限の書き方は身に付いているものである。このままだと誤解を与えてしまいかねないので断っておくと、うまく説明できていた、というのが彼女のプレゼンに対する私の偽りのない評価である。「孫正義 英語」でググってヒットしたある記事のURLを貼り付けておく。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00265/062800115/
 今回は、高校生に積極的に声を掛け、卒業生である大学生の何人かにも参加を促した。未来のスピーカーたちである。彼女が小4の頃からなので、もう10年以上の付き合いになる。私個人としては、昔の話を懐かしんだり成長を感じたりしながら聞いていたのだが、おそらく高校生にとって一番参考になったのは大学と学部選びに関してではないだろうか。一人ではなくいろいろな人に話を聞いた方が良いこと。また、私は高校生に、自分の興味のある大学の学部の教授の本を読めば良いと勧めるのだが、彼女は論文にまで目を通した上で進学先を決めていた。幸いにも、高校時代に面白いと感じた教授の研究室で彼女は現在学んでいる。実際に会ってみると抱いていたイメージと大きくずれることはあるのだが、その場合でも、真剣に情報収集をするなどして選んだ結果であれば、そこからの方向転換はそれほど難しくない、というのが持論である。入学前だけではなく、入学後の勉強と向き合う姿勢についても刺激を与えてくれた。3回生にして、既に海外の学会に参加したり、国内では発表をして新人賞までもらったりしているからだ。第3回は、元々第1回を任せるはずであったMさんにお願いする予定である。無事に司法試験に受かってくれると良いのだが。
 今回の「beforeとafterの間」に興味がある方はご連絡をください。録画したものをお送りします。

2024.10.01Vol.656 「採用」と「オンライン」ページ(仮)

 NHKでキャスターを務めた後、フジテレビのコメンテーターに転身したジャーナリストの木村太郎86歳が、辛坊治郎のラジオ番組に出演し、「日常生活におけるストレスは何ですか?」と問われ、少し考えて「毎週書いている2,000字程度のコラムかな」と答えていた。それを聞いて、「分かるわぁ」となった。ちなみに、このブログの字数は、2,000~2,500である。東京新聞で毎週掲載している『太郎の国際通信』のことを指しているのだろう。ジャーナリストなので、基本的にはその時ホットな話題に触れれば良いので題材選びにはそこまでの苦労はないのだろうが、自分なりの意見を述べる上で適切な材料を集めるのは大変そうである。翻って私の場合は、何よりもテーマ設定に頭を悩ませる。複数の候補が頭にあるときは「今週はどれにしよう」となり、選ばなかったものは翌週以降に取って置く。新たに興味があることが出てくるので大抵は陽の目を見ないのだが、ストックがあるかないかで安心感は全く違う。ある週の分をどうにか書き上げたときに空っぽの状態であれば、「来週は何も書けないんじゃないか」という不安がよぎる。話を木村太郎に戻す。確か、その日は辛坊治郎から大統領選について意見を求められ、「今、ちょうど大統領選に関する記事を書いているところなので」と立て板に水の如く語っていた。
 ありがたいことに親御様から様々な相談をしていただくのだが、九分九厘その場で瞬間的に自分なりの意見を述べる。それを後から振り返っても、「間違えたこと伝えちゃったな」となることは基本的にはない。それは私の頭の回転が速いからではなく、既に何度も何度も考えたことだからだ。毎月生徒の親御様向けに書いているものとこのブログを合わせれば、その数は優に800を超えている。また、同じことを述べるにしても同じ具体例を使うのは性格上好きではないので、できる限り別のものを探すようにしている。それもあって、少しずつ私の中の引き出しが充実して行っているのだ。上で、「『間違えたこと伝えちゃったな』となることは基本的にはない」と述べたが、それは私の発言が一般的に正しいということではなく、一日置こうが一週間置こうが、私は同じことを言ったであろう、ということを意味している。
 HPに「採用」と「オンライン」のページを追加することは数か月前から決まっていたのだが手付かずのままであった。文章を書くことに関しては、『志高く』でエネルギーをほぼ使い果たしてしまうからだ。そこで、原案をここに載せよう、となった。一石二鳥である。
まずは、採用の方から。

 志高塾では、講師を属性により「社員」、「社会人」、「学生」の3つに分類しています。「社会人講師」には、現状40代、50代の女性が中心であることもあり、企業勤めや子育てを通して学んだことなどを還元してくれることを、「学生講師」には、ついこの間まで自らが受験生であったことを含めて身近な存在として刺激を与えてくれることを期待しています。世の中では通常、「社員」と「アルバイト」、「正規」と「非正規」といったように、「社員」、「正規」とそれ以外という分け方をすることが多いのですが、私はそれが好きではありません。社員は労働時間が長い分、「社会人講師」、「学生講師」に比べて、特に授業外で果たすべき役割の種類や量が多いだけのことであって、授業内で一人一人の生徒をより良い方向へ導かないといけないことに関しては皆一様です。責任ある仕事に携われることを日常生活の刺激にしたり自らの成長に結び付けたりしたい方々を我々は求めています。代表としての私の仕事の一つは、受験の合格だけではなく作文や読書を通して我が子の将来を明るくするための人間的な成長を貪欲に求める親御様に、まずは興味を持っていただくことです。しかし、志高塾の門を叩いていただいても、期待していたような効果が得られなければ継続していただくことはできません。それゆえ、少なくとも期待通り、できれば期待以上の成果を出すことが求められます。それを実践するためには、「社員」、「社会人講師」、「学生講師」の三者が連携し、相乗効果を発揮できるような組織作りをしなければなりません。それも私が果たすべき大きな役割の1つです。

次にオンラインに関して。

 私は2024年度(2024年4月から2025年度3月)を「オンライン元年」と位置付けました。既に半年が過ぎましたが(現在2024年10月です)、まだ目立った動きはできていません。我々が初めてオンライン授業を行ったのは10年以上前に遡ります。西宮北口校に通ってくれていた小学生が中国に引っ越したことがきっかけです。数年前に、豊中校の小学生がアメリカに行き、中学生になった今も継続してくれています。そして、現在、アメリカ、シンガポール、ラオス、愛媛、岡山に一人ずつ生徒がいます。彼らは元々教室に通っていたか、そうで無い場合でも一時帰国した際などに実際の授業を受けてからオンラインに移行したかのいずれかです。今後は、最初の授業からオンラインという生徒を増やしたいと考えています。
 おそらく去年のことだったと思うのですが、先のアメリカ在住の中学生が、「フードロス」について作文していたときに、「アメリカではどうなの?」という話になりました。そのときは愛媛の小学生も一緒に授業を受けていたのですが、彼女にとってはまだ馴染みのないテーマだったため、二人の間で「アメリカと愛媛の違い」について話が膨らむことはありませんでした。
 元々小学生が多かったのが、いつの頃からか中学生、高校生が増えました。特に平日の遅い時間帯などは中高生で占められているため、誰かが取り組んでいるテーマに関して、自然発生的にディスカッションのようなものが始まることがあります。そして、私はそういう瞬間が好きです。昨年度まではリアルの授業と切り離して行っていたのですが、今年度から写真にあるように教室内にパソコンを置く方式に変えました。私の知る限り、リアルとオンラインの生徒間で学びにつながるような意見交換はまだなされていませんが、「先生、聞いてください」から始まったオンラインの生徒の話に教室にいる生徒が耳を傾けていたり、その逆に教室内での講師と生徒のしょうもないやり取りを聞いてパソコンから笑い声が漏れてきたりすることはありました。ヨーロッパ、アフリカ、南米、中東などいろいろな地域の生徒が増え、予想もしなかったような生徒間の化学反応が起こったり、ニュースなどで知ったものとは違う、現地の生きた情報に我々講師が触れることで、それを教室の生徒に還元して行ったりしたいです。
 
思い付くままに書いたので、誤脱字のチェックを含め修正をし、遅くとも10月上旬の内にHPに追加する。

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