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2024.07.30Vol.648  考えようとしないのなら考えるように持って行くしかない

 納得の行かない文章をアップして自己嫌悪に陥るのを防ぐため、最近は、前夜の段階でほぼ書き上げておいて、当日に仕上げるという手順を踏んでいた。夏期講習期間は授業が忙しくなるので、月曜の夜ではなく、一日前倒しするはずだったのだが予定が完全に狂ってしまった。それは、先週末の2日間、大阪南部の泉佐野で開催された小6の三男のサッカー大会に付き添っていたことと関係している。炎天下で観戦したことで思いのほか疲れ、1日目の夜は2人で近くのホテルに泊まり、一緒にサウナを楽しんだりご飯を食べに行ったりしたためほとんど進められなかったからである。
 さて、その三男、Jリーグのクラブが運営する小学生チームに所属していることもあり、チームメイトに元プロサッカー選手で現在トップチームのコーチを務めているお父さんの子供がいて、今回そのお父さんと初めて話す機会があった。そのやり取りは以下のようなものであった。「コーチたちは、他のチームと違って選手たちを口汚くののしることも具体的過ぎる指示を出すことも無く、かなり良い声掛けをしますね」との私の問いかけに対して、「やるべきことを具体的に伝えた方が勝つ確率は上がりますが、それでは子供たちは考えるようになりません。また、町の小さなチームであればスクール生を集めるために結果を出し続けないといけないのですが、Jリーグのクラブチームという看板があるので、目先の勝ち負けに拘り過ぎる必要がない、という違いがあります」という答えが返って来た。試合と試合の合間に車に戻って、別のテーマで書き始めていたのだが、上の会話をしたことで変えることにした。一つは、「志高塾は町の小さな塾だけど、そのような結果の求め方はしない」ということについて、もう一つは、会話とは直接的には関係ないが、三男のサッカーに関して「一つ上のレベルの環境に所属するのは、刺激をもらうという外的な要因ではなく、自分自身が楽しいという内的なもののためである」ということについて。
 体験に来られた方に、受験に際して過去問対策までするということを説明すると驚かれることはそれなりにある。トップページの下の方にある「受験専門塾ではない、ということはどういうことか。」の欄の最後の段落で、「つまり、『受験専門塾ではありません』というのは、『志高塾は作文を通して培った力を、読解問題を解かせることでより強くしなやかなものにし、将来にも受験にも役立つ力を身に付けさせます』という意思表示なのです。」と明確に述べているのだが、誰もがそこまで読むわけではなく、また、最初に目に付くところには、「志高塾は、作文をカリキュラムの中心に据えた個別指導塾です。」の欄があり、そこでは受験の「じ」の字も出て来ないから誤解されるのも無理はない。私自身、受験の結果にはめちゃくちゃこだわっている。しかし、それは生徒を集めるためではなく、その子自身のために、である。HP上に進学先を出しているが、それは、志高塾にはいろいろな学校に行く子が通っています、ということを伝えるためである。そうではなく、トップ校を目指す子たちだけの塾、もしくは中間層だけの塾、などとなってしまうと、同じようなことをやらせておけば良いとなり、教える我々の思考自体が固定化されてしまう。それは作文を指導する上でマイナスにしか働かない。
 「Fラン(Fランクの)大学」という言葉があるので、それに合わせて学校のランクをAからFまでの6つとする。中学受験をした10人のうち3人がA、4人がB、残りの3人がCに進学したとなると、すべてCまでに収まっていて、かつ3割がAなのでいかにも良い結果を残したように見える。しかし、Bの2人は、普通にしていたらAに合格できたかもしれない。一方、Cの3人のうち2人は本来Dに行った方が良かったかもしれない。Dを強引にCに引き上げたのであれば、これも普通にしていないことになる。普通というのは、睡眠時間をきちんと取って、受験に直結しないことはすべて無駄だと切り捨てず、受験勉強のストレスをゲームで解消しないような生活のことを指している。今、私の手元に、高1の女の子の1学期末の定期試験のコピーがある。彼女の通う中高一貫校は、今年度の実績で言えば約2割が東大、京大に合格している。その中で、今回、彼女は数学で2教科ともトップ1割に入っていた。開示された結果から、彼女は合格ラインぎりぎりで中学に入学したことは分かっている。中学受験のとき、どれだけ「あほ、もっと考えろ」という言葉を投げつけたかは分からない。あほ、といのは頭が悪いということではなく、考えようとしない姿勢のことを否定してのものである。講師たちにも伝えているが、能力を否定することはあってはならない。
 算数や数学が分かりやすいが、あることを教えたときに瞬間で理解できる子もいれば、1分掛かる子、中には5分要する子もいる。それはその時点での理解力の話なので、とやかく言うことではない。消化しきるまでの時間はきちんと取るし、分からなければ質問するように伝えている。3分で「分かった」といった子が、後日、同じ問題でつまずいたら、「少し前に分かったといった問題が解けへんって、どういうことやねん。人より理解するのに時間が掛かるんやったら、簡単に手放すなよ」とめちゃくちゃ怒る。その子は、5分必要だったのに7, 8割の理解度で切り上げたか、3分は適切だったものの「折角時間掛けたんやからきちんと頭に残さないと」という気持ちが足りていなかったのだ。小学生でそれができる子は多くはない。それを分かった上で、「向き合い方が間違えている」と怒るのだ。そうでもしなければ、やったらできることまで「やってもできへんし」と言い訳をし続けることになる。教える者としては、その子の理解できるかできないかの境界を見極めた上で、子供達がそこを越えられるように持って行ってあげなければいけない。
 朝、教室に来たときに机の上に置かれていた彼女の成績表を一通り眺めて抱いたのは、「小学生の頃、考えようとしないことを前提にして、そのマイナス分を問題量で補うのではなく、一つ一つの問題に時間を掛けて、考えられるようになることを諦めずに追い求めて良かった」という感想である。ボーダーライン上にいることは分かっていたが、たくさん解かせてその場限りの合格率を上げに行くことより、その先も見据えた取り組みをさせていた。それも、お母様の「(今、実際に通っている学校が)不合格だったら、地元の公立に通わせます」という強い意志があったからこそ我々が打てた手である。
 結局、2つ目の「一つ上のレベルの環境に所属するのは、刺激をもらうという外的な要因ではなく、自分自身が楽しいという内的なもののためである」には触れられずじまいであった。まあ、よくあることである。

2024.07.23Vol.647 藪蛇

 高2の男の子が夏休みを前に辞めることになった。彼が体験授業に来たのは、中2になる春休み前後のことであった。志高塾で国語を学び始めるか、中学入学後から一年間嫌々通っていた英語塾を続けるか、の二択をお母様から与えられ、彼は前者を選んだ。国語ができない息子のことを相談したのが、志高塾の元生徒のお母様で「ちゃんと国語を学びたいのであれば志高塾しかない」という嬉しくもあり、責任重大な勧められ方をされての入塾であった。本人にもお母様にも、折に触れ「すぐに辞めると思っていた」ということを伝えてきたのだが、在籍期間は3年以上になった。その彼が「俺、志望校変えようと思うんすよね」と言い出したのが1カ月ほど前のことである。「今、数学と英語を習っている個人塾の先生が意味も無く怒り散らすのが納得行かないので、どこか良いところ知りませんか」という相談を受け、ある塾を紹介した。遡ること2カ月、6月初旬に行った半年に1回の面談で、お母様に、「『東大か京大を目指します』といつ言い出すのか、私はずっと待っています。今の志望大学は彼には合っていません」と率直な意見を述べた。それを聞いて、お母様は「本当ですか?先生がそのように言っていた、と伝えておきます」とおっしゃった。彼が通う進学校では事あるごとに先生たちが「東大、京大に行け」と言い、お兄さんが東大に行っていることもあり、それらへの反発として、大学受験を意識し始めた1年前ぐらいから、家から近い国立大学に行く、ということを彼はあえて口にしていた。心がそのような状態のときに正論を吐いたところで逆効果なので、「まあ、そういう考えもあるわな」と耳を傾けることに徹していた。私が推した塾に移ることが引き金となり、志高塾を辞めることになった。しかも面白かったのは、彼は志高塾の電話を使って、その塾の体験の申し込みをしたのだ。世間一般ではこういうとき「藪蛇」という言葉を使う。辞書に「余計な事をしたために、いらぬかかわりあいになり、思わぬ不利や災難を招くこと」とある。しかし、落ちていた枝で草が生い茂っているところを私がつついたわけではなく、自らの意志で藪から出て来たので、私がすべきことは餌がたくさんありそうな藪に誘導することであった。大学受験までどのように成長して行くのかを見届けたかったが、物理的(時間的、金銭的)なことが原因なので、「がんばれよ」と応援するのが、「何かあったら、またいつでも相談に乗るからな」とオープンな状態にしておくのが我々の役割である。
 2週間ほど前、小4の秋から5年弱通ってくれている中3の女の子のお母様より「先生、すみませんが辞めさせていただきたいです」との連絡をいただいた。そういうとき、基本的にはその理由は聞かないのだが、「先生聞いてください」ということだったので、そこから話が続いた。大学附属の小学校からそのまま大学まで進む予定にしていたのだが、本人が急遽医学部に行きたいと言い出したことがきっかけで、医学部専門の予備校に通うことにした、ということであった。時々、高校生の生徒たちに「『メディカル志高塾』という名前にして、授業料上げまくってボロ儲けしたろうかな。グへへへ」というような冗談を言うことがあるのだが、そういう類の塾はとにかく授業料が高い。だからと言って、国立の医学部に多数の合格者を出すわけではなく、そのほとんどが私立である。彼らは二言目には「情報」という言葉を口にするのだが、受験における何よりもの情報は過去問である。それさえあれば、後は実力を付ければ良いだけの話なのだ。医学部と他の理系学部でやることは基本的に同じで、私立の医学部は小論文試験が課されるところが多い、という傾向はあるが、それも何ら対策が難しいわけではない。現在、東海大学の医学部に所属している元生徒は、エスカレーター式で大学に進学したものの、医者になりたい、と一念発起し、入学後すぐに大学を辞めた。それ以上親に金銭的な迷惑を掛けないように、宅浪する道を選んだ。1年目はうまく行かず、2浪が決まったときに、小論文対策だけは一人でできないとのことで高槻校にやって来た。そして、そこから一年で見事に合格を勝ち取った。小論文対策で言えば、私が認識している限り慶応のSFC(総合政策学部・環境情報学部)が一番難しいが、現在3回生と2回生に卒業生がいる。過去たった2人しか合格していないが2分の2ではある。また、この春IB(国際バカロレア)入試で岡山大学医学部に現役で合格した生徒の小論文対策も我々が行った。IB入試に関する実績はゼロだったが過去問はあった。それで十分だったのだ。上で挙げた生徒の小論文、誰一人として私は教えていないことを念のためにここで断っておく。その予備校、数学が週1回3時間の授業で年間150万弱もする。数学は1回では足りないから2回に増える。それに英語、小論文対策などとなると、一体いくら掛かるのか。ある程度続けたら引くに引けなくなり、勧められるままに取らされることになる。「うちを辞めるのは全然良いんですけど、そこだけは絶対に止めた方が良い」ということをお伝えした。電話の最後、「志高塾を辞めるの、やっぱりキャンセルします」となった。宅浪はあまりにも極端ではあるが、あくまでも自分でやれるだけのことをやって、どうしても足りない部分を誰かにサポートしてもらうという基本姿勢は受験を通して身に付けて欲しい。彼女は、志高塾という藪から良い匂いのする別の藪に向かって飛び出そうとしたものの思い直した。
 2人の生徒、1人は辞めることになり1人は留まることになった。対極の結果になったわけだが、私の対応をまったく同じである。彼らにとって何が良いのかを考え、それをありのままに伝えた。自分の、自分たちの利害得失は横に置いておき、子供のたちの未来が明るくなるような提案をし続けられる人、塾でありたい。その結果、あまりにも生徒が減ったら、「メディカル志高塾」に看板を付け変えよう。経営者としての志はまったく持って高くないので、「メディカル志向塾」の方が良さそうである。

2024.07.16Vol.646 我が長男の留学体験談

 今回はタイトルの通り、2023年12月23日から2024年2月25日までの約2ヶ月間、アメリカでのホームステイを経験した高一の長男の体験談を紹介する。その前に少しだけ親としての感想を述べる。関西空港まで車で迎えに行った帰り道でのことだった気がするのだが、次のようなやり取りをした。「向こうの友達と遊んだ?」「何度かショッピングセンターに一緒行ったりした」「彼らが声掛けてくれたの?」「全部自分から誘った」。留学に行く前にいくつか伝えたことがあった。「待つのではなく自分から積極的に行くこと」、「ホームステイ先では自分の部屋に閉じこもらず、できる限り彼らと時間を過ごすこと」、「向こうでしかできないことをすること」などだ。だから、長男から上の報告を受けたときは嬉しかった。また、向こうに着いてから中々連絡をしてこないので、買い物に行っている最中に、助手席に座っている妻がラインのテレビ電話をすると、ちょうどホストファミリーとカードゲームをしているところで、長男が間に入ってそれぞれの紹介をし始めた。私は運転をしている最中だったこともあり、「うちの息子をよろしく」ということすらきちんと伝えられなかった。その時もそうだったが、それからも電話をしたときに部屋にこもっていたことはただの一度もなく、いつも誰かと一緒だった。もちろん、その誰かは日本人ではなかった。拙い文章ではありますが、読んでいただければ幸いです。

 英語力がない、つまり、日本語を使う時のようにスムーズに雑談ができないということが留学中に大きな課題だとして見えて来た。僕は映画を観るのが好きなので、面白かった『ワイルド・スピード』について語り合おうと試みたが、お気に入りのキャラクターの名前を伝えられただけで、好きな理由などは全く説明できなかった。今思えば積極的に発言しようとするあまり、会話が弾まなかったこともよくあった。もちろん英語が上達するには自ら話すということは大切だ。しかし、会話を続けるには相手に質問を投げかけて答えてもらうことがもっと必要だったと後悔している。相手の英語を聞き取るだけでも学べることがたくさんあるはずだ。
 また、話題のなさも問題であった。最初の頃は、日本とアメリカの学校の違いなどを主に話していて受けも良かった。けれども、段々とそのネタも尽きていった。その後は話題探しに困った。アメリカンジョークが実在することは知っていたが、英語の熟練度が低くそれに挑戦することすらできなかった。そんな中で方策を偶然見つけた。ある日、友達と一緒にショッピングモールへ行きナイキのスニーカーを買った。その後はずっとその靴を履いて過ごしていた。そうすると学校やバス車内などで知らない人からも「その靴かっこいいな」と声をかけられるようになった。これにより、話始めるきっかけができて以前より気楽になった。けれども、会話が全然続かないということには変わりなかったので、依然として英語の上達は必要であった。
 ホストファミリーと初めて対面した時、本当に仲良くなれるか不安だった。なぜなら、彼らの話す速度が日本の英語の先生よりもかなり速いのに加えてホストファザーが強面だったからだ。最初の一週間は学校が休みで一緒にクリスマス休暇を過ごしていた。その中で僕が特に意識していたことは分からないなりに自分から話すということだ。当初は、彼らが何を言っているのかを聞き取ることでさえも困難だったが、聞き手に徹するのはつまらなかったからだ。ホストペアレンツが学生たちと違ったのは、僕の英語力上達のために「ゆっくりでもいいから自分で説明してみて」と練習する機会を与えてくれたことだ。それに加えて彼らは六十代であり、話す速度がゆっくりだったおかげでどうにか付いて行けるようになった。
 そのようにたくさん会話している中で新たな発見が色々あった。渡米するまではアメリカに偏見を抱いていており、端的に言えばアメリカ人は主張が激しく一方的で、町では銃を持っている人がいるのでとても危険だと思い込んでいた。しかし実際は、イメージと異なっていて日中は安全であり彼らは人の話をきちんと聞いてくれた。
ある日両親の職業について尋ねられたので、お父さんは塾長だと説明した。けれどもアメリカには塾がないらしく上手く伝わらなく、僕はその事実に驚いた。なぜなら、アメリカには日本の大学よりも優れている学校がたくさんあるにも関わらず、日本人のように塾に通いつめたり受験のために進学校に行ったりすることがないからだ。実は留学中に海外の大学に行きたいと思うようになったので、それについて調べていくと高度な英語力が必要なのは勿論、課外活動を重視しておりいわゆるテストのための勉強は比較的重視されていなかった。通っている私立高校では勉強ができるという意味での賢い人は一定数いるが、勉強だけに注力している生徒が多数派である。僕のように読書をしている人もほとんどいない。この現状をつまらないと思っており、多分大学にいっても同じような光景を目にすることになる可能性が高い一方で、日本の教育システムとは非常に異なる海外の大学が魅力的に思えたのだ。海外ではアイデアを生み出すということをより重視している。例えば、アメリカではそもそも宿題の量が少なく、その傾向も異なっている。日本と同じような問題演習もあったが、自分でアメリカの州について調べて発表の資料を作ることや、歴史に関する文章を読んで簡単な問題に答えるというものがあった。このような宿題は積極的に取り組む部類のものであり、能動的になることができる。
 一方日本では、小テストのための問題演習や暗記が宿題として与えられることが大半だ。けれどもこのような環境下で能動的になるためには与えられた課題をきちんとこなした上で課外活動に積極的に参加することが良いと思う。僕の場合、阪大SEEDSという阪大で講義を受けられるプログラムの選考を通過することが出来た。実際に活動することの出来る場を与えられたので能動的に取り組んでいきたい。実はSEEDSでは留学生と交流する機会も設けられている。僕はこの活動をうまく利用して英語力、創造力ともに身に着けていくつもりだ。

2024.07.09Vol.645 文章を書く者としての心構え

 徳野に「Vol.27狩らずに増やす」の書き直しを命じた。「そういうことが起こらないようにするために、事前に確認したら良いのではないか」という意見があるかもしれないが、それではだめなのだ。誰かにチェックしてもらえるとなると安心感が生まれ、責任感が薄れるからだ。それはその分やりがいが失われることを意味している。現行のものを残した上で、別のものを追加するという方法を取る。あんな文章を書いたことを忘れてはいけないからだ。私自身、文章がうまくまとまらずに情けない思いをしたことは数知れない。誤脱字に後から気づいて修正を加えることはあるが、文章を差し替えたことはただの一度もない。大事なのは、そのことを胸に刻んで、同じことを繰り返さないようにすることである。それが読んでくださる方への礼儀であり、作文を教えている者の務めなのだ。
 私の『志高く』も社員たちの『志同く』も、主に以下の3つのことを目的としている。
A. 書き手の人となりを伝えること
B. 有用な情報を提供すること
C. 考えるきっかけを作ること
先週土曜の朝に、前夜にアップされた彼女の文章を読み、その日の授業前に、読み手が上のB、Cを享受できると思って文章を書いたのか、と問うた。そして、彼女は黙り込んだ。書き手と読み手の「思う」、「思わない」の組み合わせは4通りあり、一番良いのはもちろん①「書き手が思ったから読み手に思ってもらえる」ことであり、その次が②「思ったけど思ってもらえない」となる。そして、③「思わなかったのに思ってもらえる」、④「思わないから思ってもらえない」と続く。④は論外だが、③も大差は無い。読み手の時間をいただいているという責任感がない時点で単なる偶然でしかなく、意識が変わらない限りその後は④の文章を垂れ流すことになるからだ。気持ちがあれば良いというものではないが、②には未来がある。
 私が文章を書く際、教育や受験の話を直接的にせずにスポーツなど他のことに例えることが多い。そうすることで、読み手がそのまま飲み込むのではなく、咀嚼するという過程が入ることで消化されやすくなるからだ。今回の徳野の文章を要約すると、「『障害者』と表記していたのを、あるときから『障がい者』に変えたが、やはりこれからは『障害者』を用いることにする」となる。これを読んだ人が、「ああ、そう言えば私も」とその人自身が何気なく使っていたある言葉について思いを馳せるきっかけになるのであれば価値はあるが、私個人はまったく持ってそうならなかった。だから、本人に問うたのだ。もし、そこで「こういうことを思ってもらえたら良いという期待を込めて書きました」という返答があり、「こういうこと」に私自身それなりに納得が行けば、書き直しをさせることはなかった。
 もし、私が「障害」という言葉を取り上げるのであれば、あんな状態で話を終わらせずに「学習障害」のことと絡める。私はその言葉が大嫌いである。それは、先生を含めた学校関係者が、「おたくのお子さんは学習障害なんで、みんなと一緒に授業を受けない方が良いです」とその子の学力をどうにもできないことの責任が自分たちに及ばないようにするために使う言葉であり、それを聞いた親がどれだけ不安に思うかなんて想像すらしていないからだ。これまで、そのような相談を受けた回数は少なく見積もっても片手では足りない。そのようなとき、私は決まって「彼らはそういうレッテルを貼ろうとしているだけで、特別な対策をしてくれるわけではないです。不安になるだけなので検査なんて受けない方が良いです」というアドバイスをする。幸いにして、我々は作文を教えている。将来、社会に出ればどのような仕事をするにしても人との関わりは生まれる。コミュニケーションが少しでも円滑にできるようになることは、彼らが社会で自分らしく生きることの手助けになる。作文はコミュニケーション力を上げることに間違いなくつながる。それ以外にも、親御様と一緒にどのような道を進んだ方が良いのかを考える。そのとき、一つのポイントになるのは手先の器用さである。器用であれば、それを活かして手に職を付けられないかと考え、不器用なのであれば、さあ何がある、となる。もちろん、決めるのは本人なので、私にできることは、彼らがより充実した生活を送れるようにするための有用な選択肢を1つでも多く用意することである。それとは別の、もっと自分にあったものを彼ら自身で見つけられるのならそれに越したことは無い。それを単に期待するのではなく、意見作文を通して、自分を見つめる力、世の中を広く見渡す力を付けていってあげるのが我々の役割である。
 どのような文章であっても、「A. 書き手の人となりを伝えること」の条件は満たす。文章を読んだとき、読み手は書き手のことを良くも悪くも想像するからだ。この『志高く』をある程度読んだ上で体験授業に来られた方が、実際に私と話して、「イメージ通りでした」という感想を漏らされることは少なくない。それはとても嬉しい評価である。私が等身大の文章を書けていることの証だからだ。正確には、少しだけ背伸びをしている。そして、人間として成長して、それが等身大となれば、かかとを浮かして、また少し上を目指す。それを繰り返すことは未来ある子供達と接する大人の務めである。

2024.07.02Vol.644 解凍未遂

 コストコで肉や魚を大量に購入し、すぐに使わないものは小分けにして冷凍庫に入れて保存する。今日はステーキ、となれば、必要な枚数だけ取り出して解凍し、冷蔵庫を覗いて付け合わせに使える野菜を探し、足りないものは買い出しで補う。この欧州旅行記の話をしているのだ。料理の話をしながら、俺、何だか村上春樹っぽい、なんて思ってみたのだが、彼の作品にコストコは出て来ないだろうし、メニューももっと繊細でおしゃれである。帰国直後に向こうで気になったことや考えたことを単語や短文などで書き残した。その後、それらに関する記事をネットニュースなどで見かけると、そのURLも合わせて保存した。それらを踏まえて「次は何について書こうか」とテーマを決める。たとえば、「欧州旅行記 ~性差~」はずっとスタンバイしている。
 今回、冒頭に「旅行記をもっと二休み。」の一文を持ってくる予定にしていたのだが変更。ブログで扱えるかどうかボーダーライン上の内容だったので、内部配布の方に回すことにした。具体名を挙げないものの、ある大手塾に関するものだったからだ。「ボーダーライン」の前に「瀬戸際」という言葉が頭に浮かんだのだが、「使い方間違えてるよな」と意味をググろうとしたら、検索ページに東洋経済オンラインの「村上春樹『風の歌を聴け』が描く戦後日本の虚無感」というタイトルの記事が出て来た。『風の歌を聴け』は読んだはずなのだがまったく記憶に無いので、再読しようと教室の本棚を探したが見つからなかった。家にも無ければ購入するしかないので、忘れないようにアマゾンのカートに入れておいた。読了した後であれば、記事の中で述べられていることをもう少しきちんと理解できるはずなので、自らの備忘録のためにもURL を貼り付ける。
https://toyokeizai.net/articles/-/760742
 公立高校に通う高一の生徒から、「先生、社会、何を取ったら良いですか?」と尋ねられ、「俺は楽やからという理由で地理を取ったけど、大人になって、ビジネスの場などでちゃんとした人とちゃんとした会話をするのであれば間違いなく世界史。高一の長男、理系と文系のどちらに進むかはまだ決めてないみたいで、そのことについて一切口出しはしてないけど、社会に関してだけは世界史を強く勧めている」ということを伝えた。息子が理系に進むことになったら、選択肢の広さから「よほどの理由がない限り、物理、化学にした方が良い」と理科についても助言するはずである。さて、その長男、夏休みの間に学校からオープンスクールに行くことを義務付けられているとのこと。学力はさておき、せっかく時間があるので東京に行って来たら、という話をした。本人が調べたところ、文系の一橋が8月5日、理系の東京工大が7日に説明会のようなものがあるらしい。一橋には長男の高校の先輩でもある男の子が3回生にいるので、お母様経由で連絡を取り、可能であれば会って話を聞かせてもらえれば勉強になるはずである。他の生徒ではなく我が子のために伝手を使うことに若干のためらいはあるが、それを横に置いておくと、元生徒の近況を知る良い機会にもなる。インターンや就職活動について、彼がどのような会社に関心があるのか私自身興味がある。なお、東工大に関しては、第一志望にしている高3の生徒がいるので、この前の授業の際に、「現役で合格してや」と発破を掛けておいた。そうすれば、来年以降は東工大を目指す生徒の橋渡しもできることになるからだ。話を戻す。中日の6日を含め、空いている時間に、オンラインしかない東大と、1年ほど前に私が初めて近くを通りかかりきれいさに驚いた早稲田と、ついでに慶応も見て来たら、とアドバイスした。東京の私立大学に行かせる余裕は我が家にはないので雰囲気を感じるだけにはなる。長男が、東京に行くかもしれないということを友達に伝えると、俺も一緒に、という話になったらしいのだが、「一人で行った方が良い」と止めた。二泊三日でも三泊四日でも良いのだが、高一にもなったので、大学だけではなく、自分のペースでいろいろと見て回って欲しいからだ。ちなみに、浪人時代の仲間の何人かは滑り止めに早慶を受けていたが、時間がもったいないのでそのような選択はしなかった。私は京都の私大を受験したが、それは京大本番のときと同じホテルに泊まって試験を受ける、ということの練習をしたかったからだ。それゆえ入学金も入れていない。京大や阪大がダメで、結果的に早慶に行った仲間が何人かいる。早慶で止まったとも言えるのだが、もしかすると、その時間を第一志望の対策に充てていたら滑らなかったかもしれない。直前の本人の成績や、本人や親御様の希望、不安などを踏まえる必要があるが、もし、第一志望の合格が手の届くところにあるのなら、私はそのことだけを考える。特に中学受験の場合はそうである。前進するために一度後退するのは良いが、大学受験も含め、その後もここぞというときに守りに入る癖が付きかねないからだ。先週末、中学受験生の親御様から、学校見学について聞かれ、「2~3校も行けば十分です。オープンスクールぐらいでは学校のことは分かりませんし、何よりもの情報は、現在通っている、もしくは通っていた生徒や親からのものです。また、子供に合った学校を見つけるというより、そうでない学校を選択肢から外すことに役立つはずです」と答えた。遠い所にある学校であれば、実際に乗り継ぎなどをしてみて、「これなら通えそうだ」、「思ったよりしんどいな」ということを経験することの方が、雰囲気を感じることよりも重要かもしれない。
 冷凍庫から「二条城大政奉還」、「フランクフルト神聖ローマ帝国戴冠式」を取り出し、電子レンジに入れ、半解凍のボタンを押す寸前にもう一度戻した。それに伴い、タイトルは「欧州旅行記 ~歴史~」から現行のものに変更になった。結局、二休みしたことになった。

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