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2023.07.25Vol.600 志高塾が生まれる前からの話

 なぜ志高塾を始めたのか。この「なぜ」には2つの意味がある。1つは原因。何がきっかけで。そして、もう1つが目的。何のために。このシリーズではこの2つを中心に話を展開して行くことになる。現状、少なくとも3回ぐらいになる気がしているため「シリーズ」と呼んでみたが、いつ気が変わっても良いように1回ごとにそれなりにまとまりのあるものにする予定でいる。
 この週末、東京にいた。明日、志高塾初めてのオンラインイベント『beforeとafterの間』でスピーカーをお願いしている川本君との打ち合わせと称した飲みと、幼馴染と神宮球場に阪神を応援に行くのが今回の目的であった。その彼とは生まれたときからの付き合いなのだが、志高塾とも浅からぬ縁がある。初めて新聞折込を入れた2007年3月上旬のある日、全然問い合わせがなかったらどうしようという不安と頼むから掛かって来てくれという期待を込めて電話が鳴るのを朝から待っていたときに、夫婦でお弁当の差し入れを持って来てくれたからだ。今回、何の話からそんなことになったかは覚えていないのだが、野球を見ながら「もし、良かったらどういう人材が求められるか、という話をしようか」という提案をしてくれた。よくネットニュースになる「東大生が選んだ就職注目企業ランキング」の常連の外資の戦略系コンサルティングファームで働いているので、そこで求められる能力がどんなものかを教えてくれる、とのこと。特に大学生の講師や高校生にはかなり参考になるはずである。就職するためだけに大学に行くわけではないが、そういうことを頭の片隅に置きながら大学生活を送ったり、高校生が大学で何を学ぶかを決める際の参考になったりするはずである。この手のイベントというのは身近に感じられるか、ということはとても重要な要素だと個人的には考えているので、コンタクトを取って有名人などにお願いすることには意義を見出せないが、その幼馴染のように私の友人であればその要件を最低限満たす気がしている。
 このタイミングで東京に行くことは2か月ぐらい前には決めていたので、かなりの偶然である。もちろん、その時点でこの600号のことは頭にない。そもそも数週間前に「志高塾の過去を振り返ってみよう」となったのだから。きっと2006年以来なので17年ぶりに、紀伊国屋書店の新宿本店に行ってきた。当時28歳であった自分の中にあったのは次のような思い。「どこかに自分が求める理想的な会社があるかもしれないが、それに出会い、かつ雇われるとなると相当確率は低い。それであれば自分でビジネスを始めよう。教育が一番手っ取り早いが、数学(算数)だけはしたくない」。ただ、自分の中にアイデアが無かったので、「1日がかりで紀伊国屋の教育フロアに行って何かしらのヒントを見つけたい」ということが目的であった。数学を除外したのは、大学生の頃、自分の家に数名の高校生を同時に呼んで数学を教えて最低限の成果は出していたので、数年経ってまた振り出しに戻る、みたいな感じになるのが嫌だったのと、さすがにこのままでは人間的にはまずいという危機感があったので、仕事を通して自身が成長できるものでなければならなかったことが主な理由。数学は解けたときの喜びはあるが、私にとってそれ以上のものではなかった。本格的な数学になれば話は変わるのかもしれないが、私はその世界を知らない。結果的に、初年度から算数も教えることになったが、それは私が教えていて楽しいからではなく、思考をする上で言葉と両輪を成す数字を使って考える訓練をすることが、生徒たちの頭を鍛えることに、未来を切り開くことに役立つからだ。志高塾を始めるにあたり、30代の10年間は私自身が人間的に成長するフェーズと位置付けていた。実際、生徒の作文を添削したり、読解問題を教える上でいろんな文章に触れたり、こうやって文章と格闘したりして来たおかげで一皮か二皮ぐらいは剥けたはずである。今なお謙虚さが無いとかいろいろ言われるが。何日か前に、中1の二男が自分のものと比較するために、当時の私の通知表を引っ張り出してきた。そこに担任の先生からいろいろなコメントが記されていて、それが面白かったので機会があれば紹介することとする。
 さて、その紀伊国屋。実際に何時間ぐらい滞在したかは記憶にないが、「参考になるのが無いな」となりながらうろうろ歩き回ったことは覚えている。そして、4コマ、8コマ漫画の『コボちゃん』、『ロダンのココロ』などを使って、作文を教えている教室の主宰者が書いた本に出会う。その瞬間、これや、となり、購入してすぐに家に帰った。HPを見ても講師の募集は行っていなかったので、そこに載っていたアドレスに直接メールをして、自己紹介をした上で、「子供の将来に役立つ教育をされていることに感銘を受けました。(首都圏に4校あっただけだったので)より多くの生徒が触れられるように、今の事業を拡大する役割を私に是非任せていただけないでしょうか」というようなことを伝えた。起業する話はどこに行ってしまったのか。こんな良い教育をしているので組織自体も優れているに違いない、という確信めいたものがあった。つまり、私は相当確率の低いくじを引き当てたのだ。(つづく)

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