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2023.07.18Vol.599 「友達の友達」という身近さ

 前回の話題に関することから。あるお母様からラインで「先生怒らないんですか」と聞かれ、その後以下のようなやり取りを行った。
「人のことはどうにもできませんので」
「かっこつけすぎです」
そして、その日の朝にヤフーニュースで見た大谷翔平のインタビュー記事のURLを貼り付けた上で、
「コントロールできないものではあるので。試合の中でコントロールできるものをまずコントロールしたいなと思っています。それをするのがまず一番難しいと思うので。それをすることに集中したいなと思います」
とコピペして、「大谷翔平が代弁しています」と付け加えたら、「爆笑」と返って来た。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd60b01163bb6dd3fadf3fded780240bdbea79e3
他の親御様からもラインやメールで連絡をいただいた。それを通して自分たちが何を期待されているかを再確認する良い機会になった。前回のブログのテーマになったし、600号では過去を振り返ろう、となるきっかけももらえたし、「爆笑」もいただけたし、十分すぎるぐらいのものを得た気がしている。
 さて本題。数か月前に書いた、就活時代の友人たちのグループ「めっちゃ」のメンバーの一人の村野がこの春、南千里にプログラミング教室を開校したのでその紹介から。
https://arschool.co.jp/
特に豊中校の生徒は通える範囲なので、興味がある方は気軽に私にお尋ねください。よくありがちなプログラミングっぽいことをさせる教室とは間違いなく一線を画しています。ちなみに、その「めっちゃ」のきっかけとなる初めてのオフ会を計画したのは我々2人である。その日、新宿アルタの富士銀行前で待ち合わせをしていた。今のようにスマホで手軽に画像を送り合える時代ではなく、パソコンのメールでわざわざそれをする必要性も感じなかったので、電話番号の交換だけしてお互い顔を知らないままであった。先に着いた私は、東大野球部の副キャプテンをしているという情報、つまり、少なくとももやしのような奴ではないはず、という思い込みだけを頼りにキョロキョロしていた。渋谷のハチ公前同様にべたな待ち合わせ場所なので、多くの人がやってきては通り過ぎて行った。そして、向こうから来る一人の男と目が合った。10mぐらいの距離だっただろうか。そして、私も近寄って行き、何も言葉を交わすことなく、確か「おう」と言いながら笑顔でハイタッチをした。その後に、「村野?」、「松蔭?」と形だけの確認をした。明らかに順番が逆である。そんな面白い初対面は、きっとこの先も無い。
その時期、就活のためにおそらく月一ぐらいで上京していた。複数の面接をまとめることで交通費を浮かせていたので(当時は領収書無しに、新幹線の往復分は出してもらえた)、お小遣いをもらって毎月のように遊びに行っている感覚であった。飲み会はもちろんのこと、村野やこれまた新しくできた早稲田の友人などと高田馬場で徹マンをして、みんなで誰かの実家に早朝に押し掛けて行って泊めてもらい、完全に寝不足の状態で最終面接に臨んだこともあった。ばっちり落とされたが、それは私に実力が無かったからの話である。その他、たこ焼きパーティーなどもした。あの頃はしょっちゅう夜通し遊んでいた。20代にはなっていたので、10代の頃のように羽目を外すために何かをしようというのは無かったが、思い付いたオモロイことであればとにかく実行していた。東大の屋上で花火をして警備員に怒られたこともあった。あのとき、一生懸命遊んでいなかったら、きっと彼らとの関係が今も続いていることはない気がする。
 ある高校生の生徒に伝えたら、「先生、それ赤の他人やん」と突っ込まれた。もちろん、その通りなのだ。何の話かと言えば、東大の入学式での祝辞の話である。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2023_03.html
馬渕氏は、村野の中高の野球部の仲間なので、その祝辞がネットニュースになる前に、村野がフェイスブックに「俺の同級生が」という形でそのことを上げていたので知っていた。同じ赤の他人でも、小学生が「俺のお兄ちゃんの友達がな」と自慢するのとは訳が違う。彼は私と同学年でもあるので、「そういう奴もおんねんから、俺ももう少し頑張らな」と自分を少しでも成長させるためのエネルギーになる。高3の文系に進む女の子が、どの学部にしようかと迷っていたので、「文化人類学はええで。フィールドワークはほんま大変やけど、他の学部でそれっぽいことを学ぶより断然得られるものがある。物事の本質を掴む訓練ができるから」というアドバイスをした。一時期リベラルアーツの本を読んでいたので、その時点で「文化人類学は面白い」となっていたが、馬渕氏がそれを学んでいたことを知ったことで、よりその思いを強くした。もう一つの遠い話を披露すると、アスクルの創業者は村野の中高の同級生のお父さんであるということ。知り合った頃にそのことを教えてもらった。20数年前なので、アスクルはまだ今のように世の中で認知されていなかった。あれよあれよという間に急成長して行った。これも私の何の役に立っているかは分からないが、身近に感じられたことは間違いない。
 友達の友達に刺激を与えるのは難しい。だから、せめて私のことを直接知っている生徒や親御様には、この人に出会って良かった、と少なからず思ってもらえるような人になりたい。

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